人に騙されやすいのはなぜ?その対処法と心理

例えばこんな人にあなたは困っていませんか?
  • わたしはいつも周りの人に嫌な目にあう
  • 嫌な目にあわされている
  • 悪口や陰口ばかり言われる
  • 誰も自分のことを大事にしてくれない

こんな風に口を開けばいつも誰かの悪口を言ったり、不満をもらしたり。自分はひどい目にあっている、辛いのだという話を聞かせてくる、そういう人の話をいつも聞き過ぎてしまう・・・
あなたにはそんな経験はないでしょうか?

今日はそんな、人の愚痴や不満の聞き役をしてしまう人に向けて、どうしたらその関係性を変えられるのか、やめられるのか?と言うお話と、愚痴や不満の聞き役を続けてしまうことで起きるデメリットについてお話していきます。

人の愚痴の聞き役をしてしまう人の特徴

カウンセリングに来られる方で、つい人の愚痴や不満を聞き過ぎてしまう、相手の話を遮る事が出来ずに聞き過ぎて疲れてしまう、と言う方は割と多いのですが、こういうタイプの方のお話を聞かせていただくと、圧倒的に多いのが幼少期から母親や父親、祖父母など家族のぐちを聞いて来たという方なのです。

例えば。お母さんの愚痴の聞き役をしてきた方の例でお話しますと

お父さんはいつも何も手伝ってくれない
自分だけが家事も子育てもしていて大変だ
ご近所さんが自分を無視してきた
職場の人が自分にだけ意地悪をしてくる
姑が料理や家事に文句ばかり言ってくる
自分はこんなに大変なのに誰も自分のことをわかってくれない

私は本当に可哀想だ・・・を訴えてくる感じでしょうか。お母さんを可哀想に感じるエピソードを聞いてきたイメージです。

こういう人達は「わたしは大変だ」と言う話を少しでも遮ると、母親は烈火のごとく怒りだしたり、夫婦の空気が険悪になったり、そのせいで父親から責められたりと、自分が相手の話を遮ると周りに良くない事が起こるという感覚が身に沁みついています。
だから、愚痴など聞きたくない話でも、遮れずつい相手の話を聞き過ぎてしまうのです。

また、幼少期から大人の話を聞いてあげてきた人は、聞き上手な人も多いので、自分の話を聞いて欲しいという人からすると、その話しやすさゆえについその相手に甘えて話し過ぎてしまうということもよくあります。人の愚痴を聞き過ぎてしまう人は総じて、優しい人が多いのです。

優しいからこそ人の話を聞き過ぎてしまう、相手の話にのまれてしまう、このコミュニケーションの癖があとでお話する人に騙されやすくなる問題と実はリンクしています。

親との歪んだ関わりが冷静な目を失わせる

さて。当たり前のことですが

幼少期の子供は衣食住を親に委ねて生きているものです。つまり、親に逆らうことは自分の衣食住を失うことに直結するので、幼少期の子供にとっては親を怒らせることや親を不機嫌にすること、親に嫌われることは今の大人の自分が思う以上の恐怖の感覚と紐づけられやすくなります。

ましてや、逆らった時に脅されたり、無視されたり、否定的な言葉を返されたりと嫌な体験を実際にしていると
その恐怖は益々強いものになってしまいます。

幼少期からの親との関りの中で、そうした経験を積み重ねると、だんだん子供は親の前で自分の意思を持つ事を放棄するようになっていきます。

何も言わないのが平和
何も感じないのが楽

そんな風に自分の意思や感情を放棄することで、不快な状況を受け入れるようになっていくからです。

ましてや、現実的に、母親が姑に苛められている、母親が父親に罵倒されたりバカにされている場面を見て育った場合は、母親を含む家族のために、自分を消す傾向は益々強い者になっていきますし、お母さんが言う「私は辛いのだ、可哀想なのだ」と言う言葉をそのまま受け入れてしまうようにもなっていきます。

そうやって、子供は親に対する冷静な客観的な目を失っていくのです。つまり、人に対する客観的な視点を持つ力や、冷静に事実を見極める目や判断力を失っていくわけです。

お母さんは可哀想
お母さんは大変なんだ

と、お母さんの言葉を信じて飲み込んでいる方が平和でいられるからこそ、母親の現実、家族の中で起きている事実の全体を見る力を失っていくのです。

これは、わかりやすく言えば相手の見せている面だけしか見れない状態になっているということです。

家庭の中で辛い思いをしている、ひどい目にあっていると主張する母親は確かにそれも事実でしょう。
ですが、被害者は時に加害者として自分も相手を刺激したり攻撃するような行動をとっていることも多いものです。

自分にいやなことをした夫をわざとのけ者にして娘や息子とタッグを組んで見せたり
姑に対してわざとため息をついて嫌な表情を見せてみたり
本当は相手が嫌がることを知っていてわざと嫌がることをしてみたり

自分を被害者だと主張したがる人ほど、自分が被害者でいるために加害者を必要とします。
だからこそ、あえて自分の不快や怒りを受動的な行動で見せたり、わざと相手からの攻撃を誘うという事も多いのです。

そうすると当然ですが被害者と加害者の関係性は固定化し、状況は悪化することが多くなります。
なぜか修復されない悪化した関係性の背景には双方に理由があることが多いのです。

あなたも子供時代に思った事、見た事があるのではないでしょうか?

どうしてお母さんはわざわざお父さんを怒らせる言い方をするんだろう?
どうしてお母さんはわざわざお父さんが嫌がることをするんだろう?

と。

自分が被害者であるという立場を動こうとしない人は、自分側の非を認めず、相手の問題だけを指摘することを続けがちです。被害者でいたい人は自分の問題に向き合えないので、相手が悪いのだ、相手に問題があるのだ、と相手を責める姿勢から動けないからです。

相手にも問題はある、でも同時に、自分にも改善すべき点があるという視点を持てる人は関係性を修復する力があるので、どこかで改善の方向へ向くことが多いものですが、夫婦ともどもに幼児性が強い性格の場合、こうした関係性を築くことが難しくなり、子供はその夫婦の問題にどうしても巻き込まれやすくなります。

子供が親に一番望むことはなんでしょうか。簡単な事です、お父さんとお母さんが仲良くして欲しい。平和なお家が良い、みんなで仲良く暮らしたい。ただそれだけです。

だからこそ、子供なりに親の助けになりたい、役に立ちたい、それが親の愚痴を聞いてあげることだったり、可哀想なお母さんの味方をする事になったりするわけですが、残念なことにその子供なりの選択が、その子自身の自分の意思や感情や物を考える力を失わせていく、そしてその生き方や人との関わり方が大人になってから様々な問題につながっていくわけです。

それが、この記事の一番のテーマである、自分を騙す人や嘘をつく人の本性を見抜けなくなり、傷つけられたり騙されやすくなるという問題です。

とても長くなってしまったので、これについては次の記事か、メルマガで続きは詳しく書いていこうと思いますので
良かったら次の記事もまた読みに来て下さいね。

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